2008年04月28日

竹物語

昔、東方の王国の真ん中に美しい園がありました。日も傾き、涼しい風の吹く頃になると、園の主人が日課の散歩に来ました。そこに宿るものの内で最も美しく、他の何よりも愛されていたのは、気品に満ちた竹でした。竹は年を追う毎にますます美しさと優雅さとを増していきました。また、自分が愛され、主人の喜びとなっているのを意識していましたが、それでも謙虚さと穏やかさを失うことはありませんでした。また、園の中に風が吹いて皆をかきたてると、竹はしばしばその気高さを脱ぎ捨て、陽気に身にをしならせて踊り、我を忘れて、体全体でその喜びを表現するのです。竹は園全体の踊りを導き、それがまた主人の至上の喜びでもありました。

ある日、主人がやって来て、竹をじっと観察しました。竹は立派にそびえる頭を深々と下げ、何事だろうと期待のこもった眼差しで、暖かく挨拶しました。すると、主人は言いました。「竹よ、竹よ、私はお前を使いたい」 竹は答えました。「ご主人様、準備はできております。何なりとお使い下さい」 主人は重々しい声でこう言いました。「竹よ私はお前を切り倒してしまわなければならない」 あまりの戦慄に竹の体が震えました。 「き、切り倒す・・こ、この私を?。ご主人様、あなたが園の何よりも一番美しく育てて下さった、この私をですか?。切り倒すだなんて、それだけは、それだけは勘弁して下さい。ご主人様、あなたの喜びの為に、私を使って下さい。でも切り倒すのだけは!」 主人の声はますます重々しくなりました。「愛しい竹よ、切り倒さなければ、お前を使うことはできないのだ」園はさっと静まり返りました。


風も息をひそめています。竹はゆっくりとその威厳に溢れた堂々たる頭を下げ、消え入りそうな声で答えました。「ご主人様、切り倒さなければ私を使えないのであれば、どうぞ、御心のままになさって下さい。切り倒して下さい」「竹よ、愛しい竹よ、お前からも葉も枝も切り落とさねばならない」「ご主人様、ご主人様、どうかそうは勘弁して下さい!私を切って、地面に倒し、しかも枝や葉も取り去ってしまわれるのですか?」「竹よ、そうしなければ、お前を使うことはできないのだ」太陽は姿を隠してしまいました。じっと耳を傾けていた蝶も、恐ろしくなって飛び去ってしまいました。


竹は、自分の身に及ぼうとしていることを考え、震えていましたが、とうとう小声で囁きました。「ご主人様、切り落として下さい」「竹よ、竹よ、私はお前を二つに割り、芯を取り出さねばならない。そうしないなら、お前を使えないのだから」「ご主人様、ご主人様、それならば、仕方ありません」そこで園の主人は竹を切り倒し、枝を切り落とし、葉をすべて取り去りました。そして竹を二つに割ると、芯を取り除いてしまったのでした。そして優しく竹を担ぎ上げると、澄んだ輝く水の湧き出る泉まで運んで行きました。主人の水田は、水の巡りが悪い為に渇ききっていたのです。主人は一方の端を泉の中に、片方の端を水路に入れて、愛しい竹を優しく横たえました。泉は高らかに歓迎の歌を歌いました。割られた竹の体を通って、光り輝く水が、待ち望む渇いた地へと踊るように流れ下って行ったのです。


田植えが始まりました。やがて、苗は力強く成長し、とうとう収穫の時が来ました。その日、かつてあれほども栄光に満ち、堂々たる美を誇っていた竹が、その身を砕かれ、今ではその謙虚さによって、なお一層栄光を増し加えていました。美しく聳え立っていた時は、生命に満ち溢れていました。けれども、砕きの過程を経て、竹は今、主人の世界に豊かな生命をもたらす水路となったのです!。「それからイエスは群集を弟子達と一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、誰でも私について生きたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、私に従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、私の為、また福音の為に、自分の命を失う者は、それを救うだろう。人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか」マルコ8章34ー36節




Posted by 竹翠式足裏健康法 at 11:04│Comments(0)竹物語
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。